塚本三郎彷徨った政治家。日本社会党→民主社会党→民社党→無所属→自由民主党 2020年5月20日没(老衰93歳)

塚本 三郎(つかもと さぶろう、1927年4月20日生れ 、
愛知県名古屋市出身。旧制明倫中学校(現・愛知県立明和高等学校)、中央大学法学部卒業。辞達学会(弁論部)出身。
衆議院議員(通算10期)、民社党委員長(第5代)、書記長(第5代)などを歴任した。
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戦後まもなく運輸省で鉄道員として勤務、国鉄労働組合(国労)の結成にも関わり
一時期本省への出向も経験した。
運輸省退職後は
家具製造卸業を営みつつ日本農民組合中央委員を歴任、
戦後7年の1952年・1953年の総選挙に無所属で立候補、落選。
1955年の総選挙に右派社会党公認で旧愛知2区から立候補、落選。
1958年(31歳)の総選挙で初当選を果たす。
その後社会党を離党し民主社会党結成に参加するが、
1958年の総選挙・1963年の総選挙と2度の落選。。
1967年の総選挙で返り咲き。
1974年2月、党書記長に昇格し、以後11年務めた。
同時期に委員長だった佐々木良作が社会党・公明党との連携を重視する社公民路線の主導者だった一方で、
塚本も同じ愛知県選出の春日一幸と共に自民党との連携や保守系自公民路線を主導し。
1985年4月に民社党委員長に昇格。
1988年から1989年のリクルート事件では自分の秘書がリクルートコスモス(現 コスモスイニシア)
の未公開株を譲受されていたことが発覚した。
1989年2月7日に党委員長を辞任し常任顧問に退いた。
1994年12月(67歳) 新生党・公明党の一部・民社党・日本新党・自由改革連合などが結集し、
結党された。理念は「自由、公正、友愛、共生」であった。
2008年頃から、天皇制復古を願う人々のあいだで、11月3日の「文化の日」を「明治の日」に改称しようとする動きがあり、
2011年10月1日に「明治の日推進協議会」が結成された。塚本は初代会長に就いた。
塚本は新進党に参加しなかった。スポンサーである霊友会と日蓮宗に気を使って参加しなかったから。
自民党候補と出馬するも負けを予想して辞退。
それも含めて合計6回落選している。よっぽど好きだったことは窺える。でもポリシーが感じられない。



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